
江戸川の清らかな水と、その水で育まれる米
もともと野田のしょうゆ醸造などとともに、流山のみりん醸造は盛んに行われていました。
江戸時代前期に江戸の治水や水路の開発、整備を目的として江戸川が開削され、流山は水運によって江戸という大消費地とつながります。
醸造業が栄えた背景として、江戸川という豊富な水源の存在があります。
清らかな水と、その水で育まれる米。米が主原料となるみりん造りにおいて、流山という土地自体がみりん醸造に適していたのです。
流山で酒造業を営んでいた堀切家の「万上(まんじょう)みりん」、同様に秋元家の「天晴(あっぱれ)みりん」は、遅くとも19世紀初めには醸造・販売が開始され、江戸の料理文化の発展とともに、江戸川近くに醸造所があったことから、江戸へ船で積み出すのに都合がよく、江戸はもちろん、京都・大阪にいたるまで広く知られるようになりました。


流山のみりん色が淡く澄んでいたことから、
「白みりん」と呼ばれ、愛されてきた
流山のみりんは、それまでの色が濃い褐色のみりんと比較して、色が淡く澄んでいたことから、明治時代後期頃から「白みりん」と呼ばれるようになったようです。現在、「万上みりん」は流山3丁目にある流山キッコーマン株式会社の「マンジョウ 本みりん」として、「天晴みりん」は三菱商事ライフサイエンス株式会社の「天晴本みりん」として受け継がれています。
このように流山には、みりんの歴史があり、「流山といえば白みりん」といえます。
「流山白みりん検定」はみりんの基礎知識に加えて、こうした白みりんや流山の歴史、みりん活用法など、流山白みりんにまつわる様々な知識が身につく、流山市が中心となって実施する楽しいご当地検定です。